2010年5月10日月曜日

見出された時(毒蜘蛛円舞曲 最終楽章)



現在は海軍基地や漁業などで知られる南イタリアの都市ターラント Tarant。古代ギリシアの頃はターレス Tarasと呼ばれ、ローマよりも栄えていた都市国家(ポリス)だ。のちにローマ帝国の支配下になると、「街道の女王」ことアッピア街道の南端タレントゥム Tarentumと呼ばれるようになった。古代ローマ最大の詩人ウェルギリウスも、『農耕詩』のなかでこの町にふれている。

中世のヨーロッパには奇妙な話が伝わった。舞台はターラント。この地方に生息する大型の蜘蛛に噛まれると、その毒で病に侵され、死に至るという。町の名にちなんで毒蜘蛛はタランチュラ tarantulaと呼ばれるようになった。ところが、タランチュラに噛まれても、たった一つだけ命が助かる方法があるという。それは、タランテラ tarantellaという円舞曲を踊ることだった。

この美しいタランチュラ星雲も、
その名の起源はターラント。


タランテラは、たいへん速いテンポで、止めどなく細かい動きをして踊るので、本人の意思とは関係なく痙攣(けいれん)のように細かく震えながら動いてしまう症状の病気をタランティズム tarantismと呼ぶようになる。とはいえ、病因は蜘蛛の毒ではなく、遺伝性らしい。


舞踏病の治療でタランテラを踊る若者
1877年頃の様子 (The Lancet vol.364より)


 おどろおどろしい伝承に彩られたタランテラ。生みの親のショパンから不義の子のような扱いを受けたタランテラ。けれども、実際は南イタリアの陽気な音楽だ。試しにYouTubeの検索窓に「Tarantella」と打ち込んでみるといい。すると、老若男女が分け隔てなく、この円舞曲を楽しんでいる。

少年と老人が奏でる微笑ましいタランテラ



小学校の頃、肖像画のショパンを尻目にクラスメートと一緒に歌ったナポリータ(ナポリ民謡やカンツォーネ)の数々。オー・ソレ・ミオ、サンタ・ルチア、帰れソレントへ、フニクリ・フニクラ… 僕が〈タランテラ〉を気に入ったのは、懐かしさもあるのだろう。しかし、何かもう一つ忘れているような気がする。それがしばらく頭の片隅にこびりついて、しようがなかった。ナポリータという大きなくくりではなく、タランテラそのものを、いつかどこかで聴いた覚えがあるのだ。最初は大きな庭園、続いて着飾った人たち。おぼろげながら記憶の糸をたどってゆく。場所は外国、着飾っているのは西欧人だ。すると、テレビか映画の記憶に違いない。ついに引きずり出した真相は、30年くらい前に観た、この映画だった。



もうしばらくこのテーマでブログを書いていたい気がする。
でも、やめておこう。蜘蛛だけに、欲をかくと奈落におちる。(了)


ウェルギリウス 著
『牧歌/農耕詩』
京都大学学術出版会











浅田英夫 著
『星雲星団ウォッチング』
地人書館











マヌエル・ブイグ 著
『蜘蛛女のキス』
集英社文庫











ジェイ・ルービン 編
『芥川龍之介短編集』
新潮社


序文(エッセイ)を
村上春樹さんが書いています。
表紙もカワイイ。
新刊書店でどうぞ。 

0 件のコメント:

コメントを投稿