2010年5月26日水曜日

White Knight (机上の味方)


ピノキオブックスが古本の清浄に使用しているのは、
消毒用エタノールです。
水は元より、オレンジから成分を抽出した家庭用洗剤、
その他も試してみましたが、これに勝るものはありません。

エタノールが主に活躍するのは表紙カバーの汚れ落とし。
脂汚れやホコリ、タバコのヤニに強く、
すぐに乾くので、とても重宝しています。
ただし、今のところは、しみると困るので、
コーティングされた紙にしか使っていません。

エタノールは、俗にエチルアルコールとも呼ばれ、
私たちが飲むアルコールの主成分。
そのため、成分表示などでは「酒精」と記すこともあります。
ピノキオブックスが使っているのは消毒用ですから、
「エタノールの水割」です。だいたい8対2。
中にはイソプロパノールを微量含んでいる商品もありますから、
劇薬のメチルアルコールではないとは言え、
ストレスがたまっても口には入れません(笑)。

上の写真にあるように、大体いつも、
薬局で500mlのボトルを買ってきて、
無印良品のPETボトルに詰めて使います。
僕はポンプ式から紙おしぼりに噴射しますが、
別にスプレー式でも構いません。
ただ、ワーキングデスクで何かを食べたりするとき、
これで手を洗ったりしますから(もともと消毒用なので)、
僕はポンプ式のほうが使いやすい。

また、机上のエタノールは、
ほとんど万能クリーナーと言ってよく、
パソコンのキーボードやマウス、液晶ディスプレー、
携帯電話、メガネ、ヘッドホン…
とにかくなんでも拭いてしまいます。
専用クリーナーはもう必要ない!って感じです。
たまに、キッチンに出張し、冷蔵庫の中を拭いています。
もともと殺菌作用がありますし、
「酒精」だから安心なんです。

ドラックストアなら、500mlで、だいたい千円前後。
オールマイティであることを考えれば、安いものです。


なお、写真の本は、たまたまクリーニングしていたもの。
トム・ウルフ著『現代美術コテンパン』です。
なかなか痛快なポップカルチャー批評で、一読をおすすめします。
(そのうちピノキオブックスに出品するかもしれません)
この本の出版社は、昨年何かと話題をよんだ晶文社。
サイのマークの晶文社については、
個人的に思い入れがたっぷりあるので、
日をあらためて書きたいと思います。

2010年5月23日日曜日

街のあわてもの


ずうっと気になっていて、とうとう昨日、
写真に収めてしまった「とびだし君」です。
家の近所で採取。「路地もの」です。

いっそコレクションにしてみようかと思いましたが、
念のため(?)ネットの検索エンジンにかけてみたら、
やっぱりというか当然、
とっくに始めている方々がいらっしゃる。
もう追いつけないので、あきらめました。

圧倒的なコレクションを誇るのがこちら。
「猫の通り道」という個人サイトの「とびだし坊や」のページ
某国を非難できないような、きわどいサンプルが目白押しです。
でもって、これがメジロの目白押し。

「札幌宮丘公園野鳥日記」より。
びっくり顔が、なんともカワイイ。

はい、次に行きます。
こちらのサイトは「がんばれ!とびだしくん伝説」

サイトの運営者も、がんばっていますね。
だいたい皆さん、もともと写真が趣味の方が多いようです。
たぶん、山の写真や、街のスナップを撮るついでに採取して、
いつのまにか数が増えてしまった、クセになってしまった、
きっとそんなところでしょう。

1980年代に路上観察なるものが流行し、
文化人サークルとしての学会ができたり、
「宝島」などの雑誌への投稿が白熱しました。
その中から「おじぎ人」(工事現場のサイン)という
スターも誕生し、今回の「とびだし君」も、
そのバリエーションの一つといえるでしょう。



 宝島編集部
『VOW全書〈1〉
まちのヘンなもの大カタログ』
宝島社











赤瀬川源平
『超芸術トマソン』
ちくま文庫

2010年5月20日木曜日

グーテンベルクの遠近法

 
メガネは顔の一部、だったのに…


最近、ベッドで横になりながら、
仕事の資料や趣味の本を読んでいると、
文字がかすんでよく見えない。
思い返せば、去年の秋からたびたびある。
もともと近視+乱視の持ち主で、
そのうえ医者に診てもらったわけじゃないけど、
きっと睡眠障害もあるに違いない。
だから、どうせ疲れているだけさ、と、
やり過ごしてきた。

ところが、ついさっき、
なにげなくメガネをはずして本に眼をやると、
いつもより文字が大きく見える。しかもクリア。
これには正直おどろいた。

たとえば新潮文庫は現在、
9.25ポイントの文字を本文の標準サイズにしている。
ぼくがメガネをかけると、7.5ポイントくらいに見える。
いちばん慣れ親しんだ文字のサイズは、
80年代〜90年代の出版業界標準9ポイント。
それよりも小さい。
言い換えると、文字が遠くに見えるのだ。
ちなみに、パソコンや携帯電話の画面表示は、
おそらく初期設定が11〜12ポイントくらいだろう。

7.5ポイントというと、
1960年代くらいまでの文庫本で使われていた
活字のサイズと同じくらい。
さて、遠近両用メガネを作るべきかどうか。

大日本印刷がドイツのグーテンベルク博物館に寄贈した活字板。
活字は明治時代から開発を続けているオリジナル書体「秀英体」。
ここで組んであるのは、ゲーテの『ファウスト』の有名な一節、
第二部第五章「合唱する神々しき童子の群」「天使等」。


 マーシャル・マクルーハン
『グーテンベルクの銀河系
活字人間の形成』
みすず書房












その昔、竹村健一氏がマクルーハンを
よく引用していましたが、最近見かけませんね。
でも、ニューヨーク・マンハッタン島の、
Mott St.とPrince St.の交差点近くのビルには、
今でも竹村氏の壁画があります。
(アデランスの広告の名残らしい)













松岡正剛、田中一光、浅葉克己
『日本のタイポグラフィックデザイン
—1925-95 文字は黙っていない』
トランスアート


2010年5月17日月曜日

譲らざる者


この5月は、NHK-BSとWOWOWがそれぞれ
クリント・イーストウッドの映画特集を組み、
合計26本の出演・監督作品が放送される。
我が家では、放送解禁の『グラン・トリノ』をはじめ、
『ダーティハリー』シリーズ全5作、
『ファイヤーフォックス』のHD版などを録画した。

初監督作品の『恐怖のメロディー』や
『センチメンタル・アドベンチャー』、
あるいは『白い肌の異常な夜』や
『ペイルライダー』といったマニアックな作品、
逆にマニアが無かったことにしたがる『マディソン郡の橋』、
そしてなぜか『ミスティック・リバー』は抜け落ちているが、
イーストウッドの代表作は、おおよそカバーしている。

イーストウッドは、作品ごとにジャンルを変える監督で、
その意欲的な姿勢は巨匠と呼ぶにはあまりにも若々しい。
しかし、初めて主演した『荒野の用心棒』が34歳の年、
初めて監督した『恐怖のメロディー』が41歳の年と、
イーストウッドのデビューは決して早くない。
むしろ遅咲きで、作品のクオリティにおいても、
興行収入においても、最新作が最高傑作で、
成長が止まらないという希有な映画監督だ。
ちなみにイーストウッドは、
ゴダールと同じ1930年生まれ。
日本の映画監督でいえば、
山田洋次や大島渚らと同世代。
そして、ビートルズやプレスリーよりも、
上の世代なのである。まったく恐れ入る。

イーストウッドは、52歳の年に監督した
『ファイヤーフォックス』でSFXを本格導入したが、
必然性さえあれば、80歳を超えて3D映画をやると思う。
たとえば、人類唯一の月面着陸に成功したアポロ11号、
その船長だったアームストロング氏が唯一認めた公式の伝記
“First Man”の映画化権をイーストウッドは持っているので、
可能性は充分ある。

イーストウッドは自前の映画製作会社
マルパソ プロダクションを設立し、
制作スタッフを抱え込んでから監督業をスタートしている。
だから、ジャンルは幅広いけれど、
どの作品を観てもイーストウッドの個性が色濃い。
実際、拳による格闘シーンがフックから入るとか、
食べながらしゃべことを重要視しているとか、
ゆっくり動くリズムが印象的だとか、
ドキュメンタリータッチを多く使うとか、
マニアや批評家が指摘する映画的なポイントはいくつもある。
そして、僕が思うに、
イーストウッドは、監督した映画のなかで、
ほんど一つのことしか言っていない。
つまり、どの映画もテーマは同じ。

守るべきものは、どんな状況にあっても、
どんな手を使っても、自分の手で守る。

これである。
映画から人生を学ぶことは退廃的で不健康の極みだが、
僕は、人生で悩んだときは、
自分が何をやりたいかということは考えず、
何を守りたいかを基準に判断するようにしている。
人間、やりたいことや欲しいものは目移りするが、
譲れないものは案外、子供の頃から変わらないものである。


リチャード・シッケル 著
『クリント・イーストウッド
レトロスペクティヴ』
キネマ旬報社


『半魚人の逆襲』から『インビクタス』まで
クリント・イーストウッド公認ブックの日本版。
この春、世界同時刊行。






 フィリップ・K. ディック 著
『ライズ民間警察機構
テレポートされざる者・完全版』
創元SF文庫


断筆、欠落、改稿、絶筆…
呪われた作品というよりも
聖書が小説的であるのと同じ意味で
祝福された作品かもしれません。

2010年5月10日月曜日

見出された時(毒蜘蛛円舞曲 最終楽章)



現在は海軍基地や漁業などで知られる南イタリアの都市ターラント Tarant。古代ギリシアの頃はターレス Tarasと呼ばれ、ローマよりも栄えていた都市国家(ポリス)だ。のちにローマ帝国の支配下になると、「街道の女王」ことアッピア街道の南端タレントゥム Tarentumと呼ばれるようになった。古代ローマ最大の詩人ウェルギリウスも、『農耕詩』のなかでこの町にふれている。

中世のヨーロッパには奇妙な話が伝わった。舞台はターラント。この地方に生息する大型の蜘蛛に噛まれると、その毒で病に侵され、死に至るという。町の名にちなんで毒蜘蛛はタランチュラ tarantulaと呼ばれるようになった。ところが、タランチュラに噛まれても、たった一つだけ命が助かる方法があるという。それは、タランテラ tarantellaという円舞曲を踊ることだった。

この美しいタランチュラ星雲も、
その名の起源はターラント。


タランテラは、たいへん速いテンポで、止めどなく細かい動きをして踊るので、本人の意思とは関係なく痙攣(けいれん)のように細かく震えながら動いてしまう症状の病気をタランティズム tarantismと呼ぶようになる。とはいえ、病因は蜘蛛の毒ではなく、遺伝性らしい。


舞踏病の治療でタランテラを踊る若者
1877年頃の様子 (The Lancet vol.364より)


 おどろおどろしい伝承に彩られたタランテラ。生みの親のショパンから不義の子のような扱いを受けたタランテラ。けれども、実際は南イタリアの陽気な音楽だ。試しにYouTubeの検索窓に「Tarantella」と打ち込んでみるといい。すると、老若男女が分け隔てなく、この円舞曲を楽しんでいる。

少年と老人が奏でる微笑ましいタランテラ



小学校の頃、肖像画のショパンを尻目にクラスメートと一緒に歌ったナポリータ(ナポリ民謡やカンツォーネ)の数々。オー・ソレ・ミオ、サンタ・ルチア、帰れソレントへ、フニクリ・フニクラ… 僕が〈タランテラ〉を気に入ったのは、懐かしさもあるのだろう。しかし、何かもう一つ忘れているような気がする。それがしばらく頭の片隅にこびりついて、しようがなかった。ナポリータという大きなくくりではなく、タランテラそのものを、いつかどこかで聴いた覚えがあるのだ。最初は大きな庭園、続いて着飾った人たち。おぼろげながら記憶の糸をたどってゆく。場所は外国、着飾っているのは西欧人だ。すると、テレビか映画の記憶に違いない。ついに引きずり出した真相は、30年くらい前に観た、この映画だった。



もうしばらくこのテーマでブログを書いていたい気がする。
でも、やめておこう。蜘蛛だけに、欲をかくと奈落におちる。(了)


ウェルギリウス 著
『牧歌/農耕詩』
京都大学学術出版会











浅田英夫 著
『星雲星団ウォッチング』
地人書館











マヌエル・ブイグ 著
『蜘蛛女のキス』
集英社文庫











ジェイ・ルービン 編
『芥川龍之介短編集』
新潮社


序文(エッセイ)を
村上春樹さんが書いています。
表紙もカワイイ。
新刊書店でどうぞ。 

あかるいショパン(毒蜘蛛円舞曲8)

ワルシャワ音楽院を首席で卒業し、ピアニストとしても作曲家としても成功した19世紀ヨーロッパの寵児。祖国ポーランドの独立を願う情熱的な愛国の徒。前期ロマン派の優美な旋律を持つ楽曲の数々。頤(おとがい)が小さく華奢で繊細な容貌の肖像画。パリのサロンにおける華麗なる社交。音楽家のリストから、画家のドラクロワ、文学者のハイネと、幅広い人脈。婚約解消の哀しみを経たあと、女流作家ジョルジュ・サンドとの10年にわたる濃密な関係。そして、望郷の思いのなかで訪れた、結核による早世。ショパンにまつわるカッコいいイメージは、あまのじゃくで嫉妬深い僕に、あえて聴く必要はないと思わせるに充分だった。

ところが、四十の手習いが始まる。

無関心といえる程よそよそしくはなかったけれど、親密という程なれなれしくもなかったクラシックという音楽ジャンル。それは、自室のラックに並ぶミュージックCDの枚数や、音楽配信のダウンロード履歴にも表れていた。ところが、思いがけぬ出会いから、クラシック音楽の愛好家や演奏家たちと親交を結ぶことになり、毅然した態度で「御免蒙る!」と言うわけにもいかず、「ごめんください」と挨拶しながら門のなかに入った次第。運命のナビゲーションシステムが作動しだしたら、もはや観念するしかない。

でも、この途方もない大海をどうやって泳げばいいのか。

寄る辺ない海で溺れていたら、クラシック音楽ファンの先輩が助け船を出してくれた。
「あなた、ジャズではピアニストがお好きでしょ?
だったらクラシックでもピアニストから入ればいいのよ」
なるほど、まず隗(かい)より始めよ、か。ちょっとツンデレの口調は気になったけれど、半世紀前のお姫(ひい)様だから仕方がない。とにかく、巨匠や名人、大家と呼ばれるピアニストたちから聴いてみることにした(前から好きだったグールドとアルゲリッチは除く)。すると、ラザール・ベルマンやフランソワ・サンソンの演奏がひっかかる。どうやら自分は、19世紀的なヴィルトゥオーソ、「俺様達人」と相性が良い。

これがショパン、本当にショパンなのか?

ある日、フランソワ・サンソンのショパン演奏集を聴いていたら、〈タランテラ 変イ長調 作品43〉という曲を気に入った。でも、ショパンにしては明るい。ショパンに明るい曲がないとは言わないけれど、そこには流し目のようなグラデーションがあったり、胸に一輪の花を挿すような色気がある。ところが〈タランテラ〉は違う。時折、気取った優男ぶりはあるのだが、それは流し目というよりウインクみたいだ。全体としては、すこやかな陽気さが勝っている。どうにもこうにも気になって、〈タランテラ〉を図書やネットを調べてみると、無知な僕にとって意外な事実が判明した。タランテラというのは、もともと南イタリア・ナポリの舞曲のことをいい、中世から伝えられてきたフォークダンスの音楽だったのだ。道理でショパンらしくない。東欧の祖国ポーランドの民族舞曲マズルカやポロネーズのほうがしっくりくる。少なくとも僕のショパン像とは重なり合う。どうやら〈タランテラ〉は、生活費を稼ぐために作ったものらしい。しかも、気に入っていなかったとか。えっ? それって「やっつけ仕事」では? ふうむ、やっぱりショパンとは友達になれそうにないかも。

〈タランテラ〉 演奏:根津理恵子





ブーツの土踏まず

さらに、タランテラという名前は、南イタリアにある港町ターラントに由来するらしい。イタリア半島の形はブーツに喩えられるが、ちょうど土踏まずに見える沿岸がターラント湾、そしてターラントはヒールの付け根にある。町の歴史は古く、紀元前706年、スパルタ人の入植にまでさかのぼるらしい。当時は、古代ギリシア神話の英雄にちなみ、ターレスと呼ばれていたそうだ。はたして、このターレスが古代ギリシア七賢人の一人、タレスと因縁があるのかどうか。気になったので近いうち調べてみたいと思う。
(つづく)



平野啓一郎
『葬送』(上下巻)
新潮社

ドラクロワとショパンの
交流を軸にした長編小説。
新刊書店でどうぞ。






ジョルジュ・サンド
『マヨルカの冬』
藤原書店

サンドがショパンと過ごした
スペイン・マヨルカ島での蜜月記。
新刊書店でどうぞ。






W.S. アングラン、J. ランベク
『タレスの遺産—数学史と数学の基礎から』
シュプリンガー・フェアラーク東京

数学に論証性を与えた哲学者タレス。
先史時代から現代までの数学史を一望し、
こんにちの意義を説く本です。









★ショパンに関する文献目録は、以下のサイトが充実してます。

2010年5月9日日曜日

目の中の星に願いを(毒蜘蛛円舞曲7)

ドラマにかぎらず、ピアニストを物語に登場させると、ショパンを避けて通れないようだ。ちょうど今、上野樹里、玉木宏主演の『のだめカンタービレ 最終楽章 後編』が劇場公開されているけれど、ここでもショパンがひとつの山場で演奏されていた。原作はご存知のとおり二ノ宮知子の人気漫画。女性主人公の「のだめ」こと野田恵は、クラシック音楽のピアノを学ぶ学生で、クラシック音楽の「広い裾野」と「高い頂上」とのあいだで揺れるところが、主人公たちの恋愛模様と重なり合い、とても楽しい。

クラシック音楽を題材にした漫画は、女子向けの雑誌に発表された作品に多く、池田理代子『オルフェウスの窓』や、竹宮惠子・増山のりえ『変奏曲』など、大家の作品をはじめ、ピアニストが主要人物の作品は数えきれない。そのものすばりのタイトルを持つ『いつもポケットにショパン』は、無冠の女王時代のくらもちふさこを代表する作品で、1980年代、当時の愛読者のなかには憧れてピアノを習ってしまった人も多いだろう。ところが、なぜかピアノに向かわずに、シチューを自分の得意料理にしてしまった女子を、僕は1人だけ知っている。


いっぽう男子向けの雑誌に発表されたクラシック音楽漫画は比較的少ない。クラシック音楽が好きで、みずからピアノも弾いた手塚治虫も、真正面から取り組んだ『ルードウィヒ・b』は未完の絶筆に終わっている。ただし、手塚には初出が「週刊少女コミック」の『虹のプレリュード』という作品があり、こちらはショパンの練習曲第12番「革命」をモチーフにした物語。連載開始は1975年。この年には先に挙げた池田理代子の『オルフェウスの窓』も『週刊マーガレット』に連載を開始している。いわば毎週対決していた時期があるのだが、モチーフや設定にいくつかの相似点もあり、なかなか興味深い。

個人的には、恐れ多くも楽聖を女性にしてしまった、福山庸治の『マドモアゼル・モーツァルト』が印象に残っているけれど、さそうあきらの『神童』も面白かった。ピアノのトレーニングで鍛えた指でフォークボールを投げる少女・成瀬うた(ピアノの天才児)という設定は、水島新司の野球漫画『ドカベン』で、殿馬一人(やはりピアノの天才児)が見せた1度きりの秘投フォークを思い出させる。それはさておき、『神童』のなかのショパンといえば、うたが最後に奏でる〈舟歌(バルカロール)〉。詩趣豊かなシーンにぴったりだった。



ピアノの天才児を主人公にした漫画では、もうひとつ、一色まことの『ピアノの森』がある。アニメ化された際、ポスターのモチーフにもなった、森の 奥に置かれた1台のピアノというイメージが美しく、ひとめ見るなり僕は惹かれてしまった。連載当初は児童文学やファンタジーの趣もあったけれど、主人公の 一ノ瀬 海が成長するにつれてリアリズムが支配的となり、今はショパンコンクールを舞台に物語が展開されている。
(つづく)





佐藤泰一 著
『ドキュメント ショパン・コンクール
その変遷とミステリー』
春秋社

「ピアニストの登竜門」を垣間見る本。
第14回(2000年開催)までの
データと後日談が面白い。
新刊書店でどうぞ。


久保田慶一 著
『孤高のピアニスト梶原完
その閃光と謎の軌跡を追って』
ショパン

敗戦翌年、日本の楽壇に
彗星のごとくデビューした梶原完。
天才ピアニストの栄光と挫折の物語。
新刊書店でどうぞ。




渡辺茂夫 演奏
『神童 幻のヴァイオリニスト』
EMIミュージック・ジャパン

日本の楽壇の悲劇の一つ、
天才児・渡辺茂夫の貴重な音源。
ヴァイオリニストですが、
ショパン作曲、
〈ノクターン嬰ハ短調遺作〉を
聴くことができます。
なお、山本茂 著のノンフィクション
『神童』(文藝春秋)は
新刊書店でどうぞ。

2010年5月6日木曜日

ドラマ・マクラ(毒蜘蛛円舞曲6)

テレビ・ドラマでもショパンは大人気だ。僕は未見だが、一世を風靡したトレンディドラマ『ロングバケーション』では、「けっこうショパンを聴いた」と、木村拓哉ファンの女友達が言っていた。山口智子ファンの男友達は全然気がついていなかったけど… そういえば、NHKの教養バラエティ番組『みんなでニホンGO!』で取り上げていたけれど、「全然」は否定文に限らないとか。だから、肯定文に使う若者たちに眉をひそめる大人たちは知ったかぶりに過ぎない。なんて痛快な話だろう。

『刑事コロンボ』にも『古畑任三郎』にもショパンが使われているのは微笑ましい。『古畑』の場合は音楽家(指揮者)が犯人のエピソードで、冒頭「音楽室の肖像画が怖い、とくにハイドンが怖い」みたいなことを古畑がつぶやき、笑わせてくれた。『コロンボ』はBGMとして割とショパンを使う。

微笑ましいといえば水谷豊主演のドラマ『相棒』。シーズン3の第15話で、水谷豊演じる右京さんがショパンの〈英雄ポロネーズ〉を弾く。このシーンで40歳以上の視聴者の多くが目を細めたはず。そう、かつて水谷豊が新進ピアニストを演じたドラマ『赤い激流』(1977年、TBS)を思い出したからである。この曲は何度も何度も流れた。流れたというよりも、水谷豊演じる主人公が弾いていたコンクールの課題曲。劇中、課題曲は三つあり、1次予選が〈英雄ポロネーズ〉、2次予選がリストの〈ラ・カンパネラ〉、そして本選がベートーヴェンの〈テンペスト〉。この『赤い激流』は、のちに「大映テレビもの」として括られる作品群の一本で、とりわけタイトルに『赤』を冠するシリーズは、1970年代後半に集中して作られて、山口百恵と三浦友和のコンビで人気を博した。とはいえ、『赤い』シリーズで最も高視聴率をとったのは『赤い激流』の最終回(37.2%)。おそらく、中高生のいる家庭では50%を越えていただろう。対抗馬はもちろん、亭主関白が見ていたNHKの『ニュースセンター9時』である。当時の10代は今40代。したがって、この世代ではショパンといえば〈別れの曲〉よりも〈英雄ポロネーズ〉を思い出す。
(つづく)

パトリック・ジュースキント 著
池内紀 訳
『香水-ある人殺しの物語』
文春文庫

絶対音感ならぬ絶対嗅覚の持ち主が
汚穢(おわい)の悪臭にまみれた
18世紀のパリに現れる…
新刊書店でどうぞ。



ヴィルヘルム・フォンレンツ 著
中野真帆子 訳
『パリのヴィルトゥオーゾたち
ショパンとリストの時代』
ショパン

同時代のショパン、シューマンに比べ、
リストについての本が
異常に少ないことに驚きます。
新刊書店でどうぞ。




竹内義和
『大映テレビの研究』
澪標

あわせて小林信彦による
『「大映テレビの研究」批判』もいかが?
こちらは単行本『コラムは笑う』に収録。
竹内著は新刊書店で、
小林著は古書店でどうぞ。
(ピノキオブックスには在庫なし)



増村保造
『映画監督 増村保造の世界』
ワイズ出版

この本は大映の鬼才・増村の波乱万丈伝。
あわせて「シナリオ」2008年6月号別冊
『脚本家白坂依志夫の世界
書いた!跳んだ!遊んだ!』もおすすめ。

増村著はいつのまにか版元品切れ、
かつ古本は2万円以上と高価。
図書館で借りるしかないかも…

映画の演奏装置(毒蜘蛛円舞曲5)

〈別れの曲〉に限らず、ショパンの曲は劇中でよく流れる。この10年くらいの映画で言えば、パルムドール(カンヌ映画祭最高賞)を獲ったロマン・ポランスキー監督の『戦場のピアニスト』が印象的に残る人も多いだろう。
個人的には、レオ・マッケリー監督の『我輩はカモである』とか、エルンスト・ルビッチ監督の『生きるべきか死ぬべきか』で使われた〈軍隊ポロネー ズ〉(ポロネーズ第3番)、ジャン・ルノワール監督の『ゲームの規則』で使われた〈小犬のワルツ〉、オーソン・ウェルズ監督の『市民ケーン』など沢山の映 画で使われている〈葬送行進曲〉(ピアノソナタ第2番)、ダニエル・シュミット監督の『ラ・パロマ』で使った〈序奏と華麗なポロネーズ〉、サミュエル・フ ラー監督『最前線物語』の〈夜想曲第2番〉あたりが脳裏に浮かぶ。

1980年代のジャン・リュック=ゴダールも、しばしば監督作品でショパンを使っていた。たしか『マリア』や『探偵』あたりで流れていたような気がする。ゴダールは初期の『勝手にしやがれ』でも〈華麗なる円舞曲〉を使っていたが、僕はフランソワ・トリュフォーの監督作品でショパンを聴いたことがない… と思ったら、『恋のエチュード』の〈別れのワルツ〉を忘れていた。〈別れのワルツ〉こと〈ワルツ第9番〉は、ルキノ・ヴィスコンティ監督の名作『イノセント』でも流れていたが、あの映画では、〈小犬のワルツ〉や〈子守歌〉も聴ける。
(つづく)






 ルキノ・ヴィスコンティ、
スーゾ・チェッキ・ダミーコ
『ヴィスコンティ=プルースト
シナリオ「失われた時を求めて」』
筑摩書房

別れのエチュード(毒蜘蛛円舞曲4)

フレデリック・フランソワ・ショパン。「ピアノの詩人」と称されるこの音楽家は、演奏にも作曲にも優れた才能を発揮して、たとえ極東の島国に住んでいようとも、たとえクラシック音楽に通じていなくとも、日々テレビや映画を通じて耳にする。

78rpm recordこと通称SP盤が鳴っていた昭和前期、オールド・クラシック音楽ファンには忘れ得ぬ映画が封切りとなる。ひとつはヴィリ・フォルスト監督の『未完成交響楽』(1933年、オーストリア)。これは「歌曲王」シューベルトの伝記映画で、貧しくとも才能には恵まれた主人公と、身分が高く魅力的な恋人の、切なくも哀しい物語という、近代以降くりかえし変奏されるラブロマンスが軸となっている。このため、教養主義的な旧制高校の男子生徒は、我が身を重ねて心震わせたことが容易に想像できるし、いっぽう裕福な良家のお嬢様たちも、時折すれちがう「苦学生らしきあの人」とのかなわぬ恋に想いを馳せていたのかもしれない。


原題は「秘めやかに流れる我が調べ」の意味。シューベルト作曲セレナーデの歌詞による。「わが恋の終わらざる如くこの曲もまた終わらざるべし」のセリフは有名。

















もうひとつの映画は、ゲザ・フォン・ボルヴァリー監督の『別れの曲』(1934年、ドイツ・フランス合作)。こちらはショパンの伝記映画で、やはり若き日の恋と音楽の物語で、それに政治(祖国の独立運動)がからむ。日本での公開は1935年。つまり226事件の前年であり、ある種の青年層が共鳴できる条件は揃っていたと言えるだろう。そうでなくても「夢と希望をかなえるための都会行き」や「故郷に残してきた初恋のひと」というモチーフは、都市集中のモダンな社会において青春物語の王道だ。現在放送中のNHK大河ドラマ『龍馬伝』も、この「いなかっぺ大将」(川崎のぼる)の構造を持っている。


幼なじみの花ちゃん、
道場の娘のキクちゃん、
二人のあいだで揺れる
主人公の風大左衛門。
ニャンコ先生は勝海舟か?
しかし江戸弁ではなく、
伊予弁で話すぞなもし。
もしかして、
漱石の三四郎+猫なのか?





実は原作の大左衛門は男前。













なお、『別れの曲』というタイトルは邦題独自の意訳。そのため、映画のメインテーマに使われた〈エチュード(練習曲)第3番ホ長調〉が、日本だけで「別れの曲」と呼ばれるようになった。おそらくショパンの曲のなかでも最も知名度が高く、一番人気だと思われる。そもそもショパン自身が、師のフランツ・リストに「こんなにも美しい旋律は二度書けない」と語ったという。あのリストに向かって言ったのだから、相当に自信満々だったに違いない。
 (つづく)


東京都写真美術館では、
4月29日から5月16日まで、
『別れの曲』を上映中。

2010年5月3日月曜日

タブル白寿(毒蜘蛛円舞曲3)

ことし2010年は、1810年生まれのショパンにとって生誕200年にあたる。それにともない、さまざまな企画、催しが目白押しだ。気がつくと、NHKではホームページに専用サイト『みんなのショパン』をオープン。関連番組やイベントの紹介をはじめ、ショパンのバイオグラフィーや、著名人から「ショパンへの思い」を寄せてもらっている。そのコンテンツの一つに「わたしの好きなショパン」というコーナーがあり、この4月30日に発売されたばかりの『フレデリック・ショパン全仕事』も紹介されていた。


小坂裕子
『フレデリック・ショパン全仕事』
アルテスパブリッシング










アルテスパブリッシングは、「レコード芸術」などクラ シック音楽中心の雑誌・書籍で知られる音楽之友社の社員編集者だった二人、鈴木茂さんと木村元さんが2007年に設立したばかりの新しい出版社。音楽に フォーカスした本づくりでファンも多く、かくいう僕も、片山杜秀さんの単行本を愛読している。所在地が吉祥寺ってところも個人的にプラス・ポイントだっ た。
とはいえ、正直に告白すると、片山杜秀さんの本、『音盤』シリーズは読んではいたものの、自分で所有していなかったこともあり、その版元にしばらく関心が なかった。ところが、伝説のロックバンド「はっぴいえんど」でギタリストだった鈴木茂さんについて、ネットで調べていたところ、たまたま検索に引っかか り、それがきっかけでアルテスパブリッシングのサイトをのぞくようになった次第。そう、お察しの通り、ちょうどあちらの鈴木さんが「おいた」した時のこ と。ちなみに「おいた」は、「お+いたずら」の略らしい。僕はつい最近まで「お痛」だと思っていた。
(つづく)


片山杜秀
『音盤考現学』『音盤博物誌』
アルテスパブリッシング

教授(坂本龍一さん)の「楽派」を知りたくて購入、同世代の著者だけに、ハマってしまった。




野上眞宏
『HAPP SNAPSHOT DIARY: Tokyo 1968‐1973』
ブルースインターアクションズ

分冊販売もあるけれど、
ポスター付きのBOXセットがお得。
写真撮影は著者の野上さんで、アートディレクションは奥村靫正さん。





アルフレッド・コルトオ
『ショパン』
新潮文庫

ピノキオブックスに入荷しました。
フランスを代表するピアニストが書いた、
スタンダードな伝記です。
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