1970年代の後半から、喫茶店文学が台頭する。
そんなことが言われたことがあります。
ちょうど村上春樹がデビューした頃でしょうか。
春樹自身、千駄ケ谷で実際にジャズ喫茶を営んでいた人です。
それまで、作家といえば「文壇バー」という言葉や、
林忠夫が撮った太宰治の写真に象徴されるように、
酒場に集まっていました。
とりわけ、戦前生まれの作家たちは、戦後になると、領収書をもらうことを覚えたサラリーマン編集者とつるんで夜な夜な銀座のバーに出入りするイメージが強くありますし、そもそも芥川賞と直木賞の審査会場は今でも料亭ですから、文壇から夜や酒のイメージは拭いきれません。
また、戦後生まれの作家たちにも、団塊の世代までは、新宿のゴールデン街あたりで飲み明かすイメージがあり、やはり酒場と近しい。まだマッチョ優勢です。その点、麻布台のイタリア料理店キャンティは、ジャンルを超えて文化人や芸能人、クリエイターなどが集まるサロンとして、ちょっと異質なスポットだったのでしょう。
それが、全共闘の「まつり」に遅れてしまった世代というか、間に合わなくて良かったと思っている世代くらいから、日本酒や焼酎、ウイスキーの匂いがしなくなり、かわってビールや珈琲、タバコの匂いがたちこめてきます。村上龍の場合は別の匂いも漂っていましたが、それはまた別の機会に。
かつて私が目にした「酒場から喫茶店へ」という説は、
たんなる印象論で、実証も乏しいものでした。
しかしながら、戯言と切って捨てるには惜しい何かがありました。
誰か新しい書き手が受け継いで、一冊著してほしいと思います。
いっぽうマンガの場合、
長らく少年少女マンガが主流だったので、
喫茶店が登場しにくい事情もありましたし、
「漫画家は喫茶店にも酒場にも行かず、仕事場にいる」
というイメージが、手塚治虫を筆頭にありました。
そこには若いマンガ家およびマンガ家未満がたむろした梁山泊、
トキワ荘などのイメージも重なっています。
つまり「アパート」ですね。
そのトキワ荘から手塚治虫の虫プロに入り、
マニアックな青年誌「COM」や「ガロ」で
作品を発表していたマンガ家に、永島慎二がいます。
彼の出世作は1961年に発表した『漫画家残酷物語』。
左が朝日ソノラマ版。右が復刻された、ふゅーじょんぷろだくと版。
このマンガは(売れない)漫画家の私生活を描いた作品で、
喫茶店が欠かせない舞台装置になっていました。
おそらく「パリの貧乏青年画家」の物語に
親近感を持っていたのでしょう。
ただ、喫茶店に行くことは行くのですが、
主人公たちはウイスキーを飲んでいます。
時代まだ昭和30年代、
東京オリンピックの前のことですから、
いたし方のないところでしょう。
CMでいえば、違いのわかるネスカフェよりも前、
柳原良平が描いたアンクルトリスが人気の時代でした。
広島県尾道市浦崎町境ガ浜に
「アンクル船長の館」 という
柳原良平のミュージアムが
あったのですが、
残念ながら昨年の秋、
閉館してしまったようです。
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