2010年4月8日木曜日

珈琲休憩 ほっといてくれ


19世紀末ウィーンに文化の爛熟が見られるのは、
多民族・多文化を受け入れる帝国だったことが
とても大きいといわれています。
とくにユダヤ人に対しては寛容でした。
むろん、600年を越えるハプスブルク家の支配は
まだ続いていましたし(末期でしたが)、
多民族・多文化も決して目指したものではなく、
リベラルな気運は結果に過ぎなかったとはいえ、
世紀末ウィーンのカフェには多様な人々が集まりました。
文学者のシュニッツラー、ホーフマンスタール、
ペーター・アルテンベルク、エゴン・フリーデル、
批評家のカール・クラウス、画家の画家クリムト、
音楽家のブルックナー、マーラー、
精精神科医のフロイト、哲学者のヴィトゲンシュタイン
建築家アドルフ・ロースなどです。
また、文学とジャーナリズムのあいだを往復する文化人として、
『バンビ』の原作者であるザルテンや
カフェ文士の代表的存在であるポルガーもいました。



『バンビ』の初版本と、ポルガーの『すみれの君』が邦訳で読めるアンソロジー

山積みにされた新聞から一部抜き取り、
珈琲を飲みながらゆっくりと読むのが
カフェ文士たちの日課だったようです。
そのうち知り合いが集まり出すと、
時事に対する情報や意見を交換して過ごしました。

カフェに来るのは、一人っきりになりたいときだ。
一人っきりになるためには、
人が集まる場所に身を置く必要がある。
(アルフレート・ポルガー)

このようなスタイルが極み達するのは20世紀、
1910年代〜20年代でしょう。
ベルリンの「ロマーニッシェス」、
パリの「ラ・クロズリ・デ・リラ」「ラ・ドーム」
「セレクト」「ドゥ・マゴ」「「ラ・ロトンド」、
東京でも銀座の「プランタン」「パウリスタ」
「コロンバン」などが賑わいました。


この時期は、いわゆるロスト・ゼネレーション、
失われた世代がヨーロッパを転々としましたが、
作家のヘミングウェイは最も有名な一人です。

きみは国籍喪失者だ。故国の土との接触を失っているんだ。
きみは脆弱になってしまっ た。偽りのヨーロッパ的基準が、
きみを破滅させてしまったんだ。酒は死ぬまで飲むだろうし、
セックスにはとりつかれるし、朝から晩まで書くこともせずに、
おしゃべりば かりしている。
そういうのが国籍喪失者というものなんだ。
わかったか? カフェをうろついているだけさ。
(アーネスト・ヘミングウェイ『日はまた昇る』)


Let's Have a Coffee Break.

東京渋谷にある東急文化村のカフェ「ドゥマゴ」。そこで発行している冊子に、著名な文化人がカフェをめぐるエッセイを寄稿、それをまとめたもの。吉本隆明、中村真一郎、鈴木清順、辻邦生、出口裕弘、須賀敦子、久世光彦、川島英昭、蓮實重彦、赤瀬川源平、山田宏一、池内紀、末延芳晴、野谷文昭、青山南、亀山郁夫、鷲田清一、中沢新一、鶴岡真弓、沼野充義、中条省平、巖谷國士、柴田元幸など50人が、20か国のカフェの想い出をつづっています。素敵な装幀と挿画は、菊地信義と山本容子の仕事です。

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