2010年4月26日月曜日

優男の肖像(毒蜘蛛円舞曲 1)

音楽室のピアノと肖像画。
それが小学生の僕にとって、クラシック音楽を象徴するものだった。昭和初期に建てられた木造の校舎には、弦楽器を収納するスペースも予算もなかったし、弦楽器を演奏できる生徒どころか先生もいなかった。

ピアノは小学校にある楽器のなかでいちばん大きく、またピアノ以外に黒光りするインテリアはなく、異様かつ威容を誇る存在だった。小学校のピアノは、誰にでも使えるものではなかったし、使わせてもらえなかったことも含めて、ピアノは特権的に鎮座していた。ふだん教室のオルガンを自慢げに弾いていた女の子が、いざ音楽室のピアノの前に座ると、ペダルの扱いに戸惑っていたのを今でもよく覚えている。そして、そのかたわらで、別の女の子が薄い唇の口角をかすかにあげ、笑みを浮かべていた。彼女は、式典でいつもピアノを弾いていた娘だった。オルガンは鞴(ふいご)で、ピアノは槌(つち)、そこには一種のヒエラルキー(階層構造)があり、ドラマや映画、マンガなどで見た、釜炊きの小僧と包丁人の親方みたいな関係なのかもしれないと、小学生の僕はぼんやり考えていた。

小学校の図工室には絵が1枚も飾られていかったので、なぜ音楽室に肖像画が何枚もあるのか、とても不思議だった。しかも、ちょうど流行していた少女マンガ『ベルサイユのばら』に出てくる人物たちのような、時代がかった衣装を身につけた肖像ばかりだったので、なんとなく「それくらい昔の人たち」という「くくり」で、僕は納得していた。音楽室の肖像画は10数枚はあったと思うけど、その中に『ベルばら』のフェルゼンみたいな優男(やさおとこ)がいて、それがフレデリック・フランソワ・ショパンだった。ショパンの肖像画を見たとき、僕は小学生ならではの傲慢さを発揮して「こいつとは友達になれそうにない」と直観した。ちなみに、フェルゼンことハンス・アクセル・フォン・フェルセンは、当時パリに留学していたスウェーデン貴族で、フランス王妃マリー・アントワネットをよろめかせた男だといわれる。

左がフェルセン、右がショパン

アントワネットは1793年、断首台の露となっていたが、夫であるルイ16世をはじめ国王一家は、19世紀を迎えてもまだ生きていた。とは言え、軟禁状態だったので、アントワネットの遺志を継いだフェルセンが、愛人の実家オーストリアに一家を逃がすことを計画する。いわゆるヴァレンヌ事件だ。しかし、一家を乗せた馬車は国境近くのヴァレンヌで正体を見破られ、計画は頓挫してしまう。主謀者のフェルセンも民衆の私刑にあって殺された。これが1810年の6月20日のことである。その3ヶ月ほど前、ポーランドの首都ワルシャワ郊外に生まれたのがショパン。出生届の日付に手を加えれば、三島由紀夫の『豊饒の海』さながらの物語をつむぐこともできるかもしれない。
(つづく)


 石井 宏
『反音楽史』
(新潮社)

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 池田理代子
『ベルサイユのばら大事典』
(集英社)











 三島由紀夫
『春の雪/「豊饒の海」第一部』
(新潮社・単行本初版)











『ピアノの19世紀』
桐朋学園大学音楽学部の教授で、
18、19世紀を主な対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻している、
西原 稔さんの力作です(Webコラム)。
最近、全面的に改稿して、
『大陸ヨーロッパ──19世紀・市民音楽とクラシックの誕生』
という単行本になりました。出版はアルテスパブリッシング。
「軍艦、大砲、鉄道、そしてピアノ」という帯の惹句に煽られます。

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