フレデリック・フランソワ・ショパン。「ピアノの詩人」と称されるこの音楽家は、演奏にも作曲にも優れた才能を発揮して、たとえ極東の島国に住んでいようとも、たとえクラシック音楽に通じていなくとも、日々テレビや映画を通じて耳にする。
78rpm recordこと通称SP盤が鳴っていた昭和前期、オールド・クラシック音楽ファンには忘れ得ぬ映画が封切りとなる。ひとつはヴィリ・フォルスト監督の『未完成交響楽』(1933年、オーストリア)。これは「歌曲王」シューベルトの伝記映画で、貧しくとも才能には恵まれた主人公と、身分が高く魅力的な恋人の、切なくも哀しい物語という、近代以降くりかえし変奏されるラブロマンスが軸となっている。このため、教養主義的な旧制高校の男子生徒は、我が身を重ねて心震わせたことが容易に想像できるし、いっぽう裕福な良家のお嬢様たちも、時折すれちがう「苦学生らしきあの人」とのかなわぬ恋に想いを馳せていたのかもしれない。
原題は「秘めやかに流れる我が調べ」の意味。シューベルト作曲セレナーデの歌詞による。「わが恋の終わらざる如くこの曲もまた終わらざるべし」のセリフは有名。
もうひとつの映画は、ゲザ・フォン・ボルヴァリー監督の『別れの曲』(1934年、ドイツ・フランス合作)。こちらはショパンの伝記映画で、やはり若き日の恋と音楽の物語で、それに政治(祖国の独立運動)がからむ。日本での公開は1935年。つまり226事件の前年であり、ある種の青年層が共鳴できる条件は揃っていたと言えるだろう。そうでなくても「夢と希望をかなえるための都会行き」や「故郷に残してきた初恋のひと」というモチーフは、都市集中のモダンな社会において青春物語の王道だ。現在放送中のNHK大河ドラマ『龍馬伝』も、この「いなかっぺ大将」(川崎のぼる)の構造を持っている。
幼なじみの花ちゃん、
道場の娘のキクちゃん、
二人のあいだで揺れる
主人公の風大左衛門。
ニャンコ先生は勝海舟か?
しかし江戸弁ではなく、
伊予弁で話すぞなもし。
もしかして、
漱石の三四郎+猫なのか?
実は原作の大左衛門は男前。
なお、『別れの曲』というタイトルは邦題独自の意訳。そのため、映画のメインテーマに使われた〈エチュード(練習曲)第3番ホ長調〉が、日本だけで「別れの曲」と呼ばれるようになった。おそらくショパンの曲のなかでも最も知名度が高く、一番人気だと思われる。そもそもショパン自身が、師のフランツ・リストに「こんなにも美しい旋律は二度書けない」と語ったという。あのリストに向かって言ったのだから、相当に自信満々だったに違いない。
(つづく)
東京都写真美術館では、
4月29日から5月16日まで、
『別れの曲』を上映中。
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