一つめは体育館。
運動部に所属していたので、学校には無い荷重マシンのお世話になりました。もっとも目的は、筋力アップよりは減量でしたが…
二つめは図書館。
当時は今にもまして「本格派の読書家」ではなかったので、どちらかというと新聞と雑誌を読むために通っていました。また、昭和初期の洋式建築が大好きで、そこにいるだけで心地よかったのです。
三つめは映画館。
レンタルビデオどころか、まだデッキも普及していない頃だったので、
プログラム・ピクチャーでさえ見逃せません。
四つめが珈琲館。
でも、UCCグループのチェーン店ではありません。
わけありのママが個人で経営している、場末の喫茶店です。
夜はスナックになり、たまに娘が手伝います。
宵の口まで粘っていると、自分より三つ四つ年上の娘が、
不安定な色香を漂わせていましたが、
それが私を惹きつけていたわけではありません。
私に手招きしていたのは「時には、違法」のゲーム機たち。
珈琲館での私は、蕩尽と後悔のくりかえし。
およそ生産的なこと、創造的なことは起こりません。
前途に明るい光を照らす人物もいませんでした。
およそカフェには伝説が付きものですが、
ツキは全部、ゲーム機が飲み込んでしまいました。
カフェの伝説、もとい伝説のカフェといえば、
私はウィーンの「グリーンシュタイドル」を思い出します。
開業は19世紀なかばの1844年。日本は嘉永年間、幕末です。
20世紀を迎える直前の1897年に閉店しましたが、
約100年の時を経て、1991年に復活しました。
Café Griensteidl 1896
「グリーンシュタイドル」は、
1848年の春に起こった二つの革命、
いわゆる「諸国民の春」において、
宰相メッテルニヒの体制に異議を唱える活動家たちに、
椅子とテーブル、そして珈琲を提供しています。
ウイーン会議がワルツを踊ったあと、
カフェでは珈琲に浮かせた生クリームのように、
野心や愛国心が泡立っていたのです。
また「グリーンシュタイドル」は、
ウィーン世紀末文化を代表する芸術家や文士が
集まったことでも知られています。
閉店により文化カフェの称号は、
1860年開業の「ツェントーラル」に移りました。
しかし「グリーンシュタイドル」を中心に築き上げた
19世紀ウィーンのカフェ文化は、
一つの様式として世界中で受け継がれています。
Let's Have a Coffee Break.
耐熱グラスにザラメを適量入れて、深煎りの豆から抽出した熱い珈琲を注ぎ、その上に生クリームで浮かべ混ぜずに飲む。これがEinspaenner(一頭立ての馬車)。寒空の下、オペラ観戦の貴族を待つ馭者たちが好んで呑んだという珈琲。つまり生クリームは、味噌ラーメンのラードと同じで、保温のための蓋の役割と風味づけ。
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